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有名なダイヤモンド

ダイヤモンドはなぜ何世紀にもわたり

私たちを魅了し続けているのでしょうか?

太古の宝石ダイヤモンドは、

いかなる流行にも流されることなく、

“永遠”に続くものの象徴となりました。

ダイヤモンドはどれも、

世界にひとつの地球からの贈り物。

ひとつひとつのダイヤモンドには、

伝説と時を超えた特別な物語があるのです。

 

これまでに発見された最大のものから

最古のものまで、この高貴な宝石には、

語り継がれる魅惑の物語があります。

中でも最もよく知られるダイヤモンドについて

詳しくご紹介します。

世界最大のダイヤモンド: カリナン

530.20カラットを誇る『カリナン』は、

世界最大のダイヤモンドです。

 

1905年に南アフリカのトランスバールにある

プレミア鉱山で発見された3,106カラットの

巨大なダイヤモンド原石。

『カリナン』は、さらに大きな原石の

一部だと考えられていますが、

その残りはいまだ発見されていません。

鉱山の所有者トーマス・カリナンの

名前にちなんで命名され、

イギリスと南アフリカの結束の証として、

イギリス国王エドワード7世へ

贈呈されることになりました。

 

当時世界でも有数の高級品だった『カリナン』

は、盗難のリスクを避けるため、

ロンドン警察が護衛する船長の金庫の中で

厳重に保管されて海を渡ったとされています。

しかし、それはただの見せかけで、

実際は普通の小包で送られたとの説もあります。

 

『カリナン』は、オランダ、アムステルダムの

アッシャーダイヤモンド社が研磨を施しました。

カットを行ったジョセフ・アッシャーは、

その巨大な原石の研磨にあたり、

時間をかけて観察と分析を重ねました。

そして、9個の大きなダイヤモンドと

96個の小さなブリリアントカットダイヤモンド

が研磨されたのです。

小さなダイヤモンドで作られたネックレスは、

世代を超えてエリザベス2世へと

受け継がれています。

『カリナン I』は、イギリス王室の

王笏の先にセットされていましたが、

1910年にデザインが変更されました。

コ・イ・ヌール(光の山)

 

世界で最も有名なダイヤモンドのひとつが

『コ・イ・ヌール』です。

眩いばかりに輝くその幾多ものファセットに、

歴史に通じる窓が浮かび上がります。

学説では、14世紀には発見されていたとされ、

知られる限り最も古いダイヤモンドのひとつ

です。『コ・イ・ヌール』という名前は

「光の山」を意味し、オーバルカットで、

105.60カラットの大きさを誇ります。かつては、

「このダイヤモンドを持つ者が世界を制する」

と信じられていました。

 

『コ・イ・ヌール』の起源については

数多くの説が残されています。

神からの贈り物であり、不思議な力を持つと

多くの人々に信じられてきました。

その存在を初めて示す証拠は、

ムガル帝国の創始者であり

初代皇帝のバーブルによって書かれた

16世紀の回想録の中に見ることができます。

 

『コ・イ・ヌール』は、

長年にわたる幾多もの争いの中で、

数多くの所有者の手に渡ってきました。

インドに渡ったのは、ペルシア帝国の

崩壊後と言われています。

『コ・イ・ヌール』を持って逃げたとされる

ナーディル・シャーが殺害された後は、

その護衛とともに移動し、パンジャーブ地方の

ランジート・シングに献上されました。

シク王国とイギリスの間で勃発した戦争後に

東インド会社が賠償の一部として没収し、

1850年にヴィクトリア女王に献上されました。

 

イギリスに運ばれた『コ・イ・ヌール』は、

1851年にロンドンのハイドパークで開催された

万国博覧会で展示されます。

しかし、その奇妙な形と鈍い輝きから、

人々の感動を誘うことはありませんでした。

そこで、ヴィクトリア女王は、より現代的な

スタイルと形に研磨し直すことを命じます。

再び研磨された『コ・イ・ヌール』は

その後王冠に飾られ、アレクサンドラ女王と

メアリー女王、そして1937年にはエリザベス

女王が戴冠式で被ることになりました。

現在は、戴冠用宝玉として

ロンドン塔に所蔵されています。

最初にカットされた時の歴史的な姿は、幸運なことにそのまま型取りされ保管されていたため、今でも私たちはこの目で確認することができます。
- ロンドン自然史博物館 地球科学館 館長 ロビン・ハンセン

アイドルズ・アイ

謎に包まれたダイヤモンド、70.21カラットの

『アイドルズ・アイ』は、平らなペアシェイプ

の形状であることから、かつて偶像の瞳に

はめ込まれていたと考えられています。

また、ゴルコンダ産ダイヤモンドに共通の

特徴であるかすかな青みを帯びているため、

1600年頃にゴルコンダで発見されたと

言われています。

 

記録では、1865年にロンドンのクリスティーズで

初めて競売にかけられたとあります。

その後の数年間で、オスマン帝国の

第34代皇帝からハリー・ウィンストンとその娘へ、

そして米紙ザ・デンバー・ポストの創業者へと

複数の所有者を経ましたが、

現在の所在は明らかではありません。

 

『アイドルズ・アイ』の真の起源が

完全に解明されることはありませんが、

このダイヤモンドの謎めいた過去により、

その美しい魅力は深まるばかりです。

テイラー・バートン

世界で最も有名な「愛の象徴」である

この美しいペアシェイプ ダイヤモンドは、

リチャード・バートンから

エリザベス・テイラーへの贈り物でした。

 

1966年に南アフリカのトランスバールで

採掘されたこのダイヤモンド原石は、

240.80カラットという驚異的な大きさで

発見されました。

ダイヤモンド収集家ハリー・ウィンストン

がこれを買い取り、経験豊富な職人に

優雅なペアシェイプにカットさせます。

ハリー・ウィンストンは、

カットされた69.42カラットのダイヤモンドを

ハリエット・アンネンベルグ・エイムズ夫人

に売却、その2年後に競売にかけられました。

 

入札者の中には、カルティエと

リチャード・バートンがいました。

最終的に105万ドルで落札したのは

カルティエでした。

売却条件のひとつは、ダイヤモンドの

命名権。そして当然ながらダイヤモンドは

「カルティエ」と命名されたのです。

 

入札価格が十分でなかったことを

悔やんだリチャード・バートンは、

後にカルティエからこのダイヤモンドを購入、

新たに『テイラー・バートン』と命名します。

両者の結んだ契約の一環として、

ダイヤモンドはニューヨークとシカゴの

カルティエ店舗で公開され、その輝きを

一目見ようと多くの人々が列をなしました。

 

この壮麗なダイヤモンドを贈られた

エリザベス・テイラーは、その大きさから

指輪ではなくネックレスにあしらいます。

しかしそれは、緊急の気管切開手術の傷跡を

隠すためだったとも言われています。

 

数年後、再び競売にかけられた『テイラー・

バートン』は、300万~500万ドルという

価格で落札されました。売上金の一部は、

ボツワナに病院を建設するための資金

として、エリザベス・テイラーによって

寄付されました。

サンシー

この55.23カラットの盾の形をした淡黄色の

ダイヤモンドは、インドの原産で、

対称的なファセットを持つようにカットされた

最初の大粒ダイヤモンドのひとつです。

 

名前の由来となったのは、

ニコラ・アルレー・ド・サンシーです。

1546年に生まれたサンシーは投資家であり、

フランス国王アンリ3世に任命された

スイス大使でもありました。

アンリ3世は、自らの薄い頭髪を隠すために、

帽子の飾りとしてサンシーから

このダイヤモンドを借りていたとも言われます。

 

サンシーは金銭的な問題から

幾度もダイヤモンドの売却を試み、

最終的にジェームズ1世がこれを買い取ります。

しかしさらに販売されることとなり、

1722年にはルイ15世の戴冠式で王冠に飾られ、

フランスの戴冠用宝玉となりました。

 

フランス革命時には、スペインのイランダ侯爵に

質入れされたとの説もあります。

最終的にロシアのパーヴェル・ニコラエヴィチ・

デミドフ伯爵の手に渡った『サンシー』は、

その息子へと受け継がれ、結婚式の朝に

花嫁に贈られたということです。

現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されています。

ホープ・ダイヤモンド

45.52カラットを誇るこのダイヤモンドは、

世界で最も有名なカラーダイヤモンドです。

その煌びやかに輝く深い青は、魅惑、崇敬、

そして魔性の物語とともに、死や悲劇、

そして苦悩の物語をも呼び覚まします。

しかし、呪われたダイヤモンドという不吉な

伝説も、壮観な美しさの価値を落とすことは

ありません。このダイヤモンドは、

ジャン=バティスト・タヴェルニエによって

ヨーロッパへ持ち込まれた

『ブルー・タヴェルニエ・ダイヤモンド』の

一部であると考えられています。

1668年、フランス国王ルイ14世は

このダイヤモンドを購入し、

1673年、その輝きを引き立たせるべく、

67カラットのハートシェイプにリカットを

命じます。しかし、フランス革命の最中に

強奪され、長年行方が分からなくなりました。

再び史書に登場するのは1839年のことです。

イギリス人銀行家のホープが、小さく研磨し

直されたダイヤモンドを買い取ったことから、

この名が付けられました。

ホープの息子へと受け継がれたダイヤモンドは

1851年にロンドン・ハイドパークの水晶宮

(クリスタル・パレス・エクシビション)で

公開されました。ホープの息子は

やがて財産を失い、ダイヤモンドは

「ワシントン・ポスト」 オーナーの息子

エドワード・マクリーンの妻である

マクリーン夫人の手に渡ります。

その後、マクリーン一家には次々と

不幸が襲い掛かります。子どもが

交通事故で死亡し、家族は離れ離れ

となり、マクリーン夫人は財産を失った後に

精神病院で亡くなりました。

1949年、ニューヨークのダイヤモンド商

ハリー・ウィンストンがダイヤモンドを

購入した際も、多くの買い手は触ることさえ

しようとしませんでした。

 

この魅惑的なダイヤモンドの真実については

史料の行間を読むことしかできませんが、

その輝かしい過去が持つ魔性の魅力は今日も

人々を魅了し続けています。

『ホープ・ダイヤモンド』は現在、

ワシントンD.C.の国立自然史博物館で

展示されています。

ダイヤモンドには燐光(りんこう)を発するものもあります。つまり、紫外線を当てると発光するのです。 その代表例が『ホープ・ダイヤモンド』です。青いダイヤモンドですが、紫外線を当てると赤い燐光を発します。
- ロンドン自然史博物館 地球科学館 館長 ロビン・ハンセン

最も高価なダイヤモンド: ピンク・スター

競売で史上最高値を付けたダイヤモンドは、

近年競売にかけられた『ピンク・スター』と

呼ばれる美しいピンクダイヤモンドです。

香港で7,100万ドル(約78.8億円)を

超える高値で落札されました。

59.60カラットを誇る『ピンク・スター』は、

これまで競売にかけられたものの中で

最大のダイヤモンドでもあります。

 

このピンクダイヤモンドは、

1999年に南アフリカで採掘され、

2年の歳月をかけてカットされました。

天然のファンシーカラーを有する

ダイヤモンドは非常に希少です。

4Cを超えて

いつの時代も輝き続けてきたダイヤモン

ド。フォーエバーマークでは、4Cを超える

基準でひとつひとつのダイヤモンドを厳

選しています。そして、最も美しいダイ

ヤモンドだけがフォーエバーマークの名

を与えられるのです。

Now, Forever

永遠に変わらない価値を持つものがあることを、私たちは信じています。人は、ときには回り道をし、成功や挫折を経験しながらそれぞれの旅を通じて
真実の愛を目指します。今あなたが刻む一歩も
永遠へと近づくための一歩なのです。